東周とは
東周(とうしゅう)とは、周王朝の後半期を指す時代です。
西周 → 東周(春秋時代・戦国時代) → 秦 → 漢
紀元前770年、周王室が都を洛邑(らくゆう、現在の洛陽周辺)へ移してから、紀元前256年に周が滅亡するまでの約500年間を東周と呼びます。
「東周」という名称は、都が置かれた洛邑が、それまでの都であった鎬京より東に位置していたことに由来しています。
東周時代は、中国史において大きな変化が起こった時代でした。周王の権威が弱まる一方で、各地の諸侯が力を持つようになり、やがて春秋時代と戦国時代へと発展していきます。
東周が始まった背景
西周末期になると、周王室の力は徐々に衰えていきました。
紀元前771年、北方民族の侵攻によって都の鎬京が陥落し、幽王が死亡します。
その後、王族たちは都を東方の洛邑へ移し、新たな体制を築きました。
これが東周の始まりです。
しかし、都を移した後も周王室の権威は以前ほど回復せず、各地の諸侯が独自に勢力を拡大するようになりました。
春秋時代とは
東周前半は、一般に春秋時代(前770年頃~前403年頃)と呼ばれます。
この時代には、多くの諸侯国が互いに争いながら勢力を競いました。
その中で強大な力を持った諸侯は「覇者(はしゃ)」と呼ばれます。
代表的な覇者として、
- 斉の桓公
- 晋の文公
- 楚の荘王
などが知られています。
表向きには周王を尊重しながらも、実際には諸侯が政治の中心となっていました。
戦国時代とは
東周後半は、戦国時代(前403年~前221年)と呼ばれます。
戦国時代になると周王の存在はさらに小さくなり、諸国は生き残りをかけて激しい競争を繰り広げました。
特に有力だった国は、
- 秦
- 楚
- 斉
- 燕
- 韓
- 趙
- 魏
であり、これらは「戦国七雄」と呼ばれています。
各国は軍事力だけでなく、
- 法律の整備
- 行政改革
- 経済発展
にも力を入れました。
その結果、中国社会は大きく発展していきました。
諸子百家の活躍
東周時代は思想文化が大きく花開いた時代でもあります。
特に春秋戦国時代には、さまざまな思想家が登場しました。
代表的な人物には、
- 孔子
- 孟子
- 老子
- 荘子
- 韓非
- 墨子
などがいます。
これらの思想は総称して諸子百家と呼ばれ、中国文化の基礎となりました。
東周の滅亡
戦国時代の終わりになると、秦が急速に力を伸ばしました。
周王室はすでに実権を失っており、紀元前256年に秦によって滅ぼされます。
これにより約800年続いた周王朝は終焉を迎えました。
その後、始皇帝が中国を統一し、中国初の統一王朝である秦が誕生します。
東周の歴史的意義
東周は戦乱の時代として知られていますが、中国史に与えた影響は非常に大きいものがあります。
この時代には、
- 諸侯国家の発展
- 行政制度の改革
- 鉄器の普及
- 経済の成長
- 諸子百家の誕生
など、多くの重要な変化が起こりました。
後の秦や漢の国家制度も、東周時代に培われた基盤の上に築かれています。
まとめ
東周とは、紀元前770年から前256年まで続いた周王朝後期の時代です。
都を洛邑へ移したことで始まり、春秋時代と戦国時代を含む長い歴史が続きました。
周王の権威は衰えましたが、その一方で諸侯国が発展し、思想や文化も大きく花開きました。
東周は、中国史における大変革の時代であり、その後の統一国家誕生への重要な土台となったのです。
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